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こんにちは!
震災当日の3月11日付のニューヨーク・タイムズ電子版で配信
された,同紙のクリストフ元東京支局長によるコラムは,
今後の日本の復興への期待をこめて,日本で自らが感じた
日本人の強い精神を称えています.
少し長くなりますが,訳文をお届けします.
Sympathy for Japan, and Admiration By NICHOLAS KRISTOF
(日本への同情、そして称賛:ニコラス・クリストフ)
↓
http://kristof.blogs.nytimes.com/2011/03/11/sympathy-for-japan-and-admiration/ (The New York Times 2011/3/11)
悲惨な地震の後で,今私たちの心はひとえに日本人とともにある.
これは日本の歴史上最悪の地震である,しかし,1995年に6000人
余りの犠牲者を出し,30万人の人々から家を奪った神戸の震災
当時,ニューヨーク・タイムズ東京支局長として日本に住み,
報道した者として付け加えておかなければならない.今後数日,
数週間の日本に注目していれば,我々にとっても間違いなく何か
教訓があるはずだ.
日本政府の地震への対応は特に優れているわけではない.
政府は1995年の震災で救助活動における対応を完全に誤り,
諸外国から送られたタイレノールや救助犬を押収した結果,
行政機構に汚点を残すこととなった.当時,地震当初の狂乱の
数日間にがれきの下にはまだ生存者がいたが,その中で失われ
ずに済んだはずの多くの命が失われたのは,政府の無能さの
ためであった.
しかし日本人自体の忍耐,冷静さ,そして秩序は驚くべきもので
あった.日本人がよく使う言葉に「我慢」というのがある.これに
当たる英語の単語は見当たらないが,さしずめ toughing it out
(耐えぬく)だろうか.そしてそれこそ神戸の人々が,勇気と連帯感と
共通の目的を持って実践したことであり,私は畏敬の念を禁じ得なかった.
日本ではルールが守られ礼儀が重んじられることに,私は滞在中
何度も感動したが,神戸の震災の後ほどそう思ったことはなかった.
神戸港はほぼ全壊し,街中の商店のガラスは割れていた.私は略奪
行為や,救援物資を求めて興奮した人々が争うところを探して歩い
た.そしてとうとう見つけ出したある店の主人が,2人組の男による
強盗被害に遭ったと話してくれた.私はやや大げさに尋ねてみた.
「まさか同じ日本人が自然災害につけこんで罪を働くとは,
驚きましたか?」彼が驚いたように答えた言葉を私は思い出す.
「日本人だと聞いたのですか?外国人でしたよ」
日本では「部落民」を下層階級と考えたり,朝鮮人を見下したり
することがある.しかし他の国と比較すると,日本には極端に貧しい
人はほとんど存在せず,共通の目的に対する意識がずっと強い.
中流階級が非常に多く,企業の大物は報酬をもらいすぎと見られる
ことを恥じるという風土がある.この共通目的という意識は,この
国の社会構造の一部であり,自然災害や危機が起こると特に
はっきりと表れる.
そのことを不必要に強調したいわけではない.日本人の礼儀正しさ
の陰で,学校や職場におけるいじめが存在するし,やくざのような
団体が不法行為によって利益を得ている.また政治家と建設業界の
大物が互いに利益供与し合って納税者を略奪している.しかし
神戸の震災の後,驚いたことにやくざまでもが震災の生存者に物資
を供給するための窓口を設けていた.そして日本の社会構造は
決して崩壊しなかった.それどころか,かすり傷さえ負わなかった
のである.
この冷静さは日本語の中に組み込まれている.人々はよく
「しかたがない」と言う.また他人への呼びかけに最もよく使われ
る言葉の1つが「がんばってください」(耐えぬいて,心を強く
持って)である.自然災害は日本の「運命」(「運動」と「生命」
を表す文字の組み合わせである)の1つと考えられている.私は,
たしか16世紀にイエズス会から日本を訪問した人による古い記述を
読んだことがある.それによると,地震で村が壊滅した数時間後に,
農民たちは家を修復し始めたのだった.
忍耐強く,一致団結しての回復力は日本人の精神にしみこんで
いる.長男をしばらくの間日本の学校に入れたことがあったが,決
して忘れることのできないのは,小さな子どもたちが全員,真冬で
も半ズボンで登校させられた光景だ.強い性格を培うという考えで
のことだったが,私にはただ風邪をひかせるだけに思えた.しかし
それもまた「我慢」を教え込むためにしていたのだった.そして
「我慢」こそが,日本が第二次大戦から立ち直り,1990年前後に
バブル経済がはじけてからの「失われた10年」を耐えぬく力になっ
たのである.もっとも,日本人はもう少し不満を表に出した方が
いいだろう.多分,そうであったら日本の政治家はもっと敏感に
なるだろう.
もう1つの要素も,人間の自然との付き合い方(の違い)に関係が
あるのかもしれない.アメリカ人の考えでは,人間は自然と対立し,
自然を飼いならす存在である.対照的に日本人の考えでは,人間は
自然の一部分であり身をまかせるだけである.そして歴史上の数
知れない地震に対しても同様であった.1923年の関東大震災は
10万人以上の命を奪った.日本語の「自然」という言葉は最近の
もので,出現してから100年余りしか経っていない.それは,
もともと日本人には自然という概念を言葉で表現する必要がなか
ったからである.神戸の震災の後にニューヨーク・タイムズに
書いた記事で,私はこのような点にいくつか言及し,日本で最高
の俳人である芭蕉が詠んだ17世紀の俳句でしめくくった.
うきふしや竹の子となる人の果(はて)
【注:人の生涯とは本当に虚しいものだ】
日本の回復力と忍耐強さの中に,何か気高く勇気にあふれたもの
があるのが私にはわかる.そしてそれは遠からず発揮されるだろう.
その時には日本の緊密な社会構造と強靭さと回復力が,誰の目にも
明らかになるだろう.私は,日本人のほぼ全体が力を合わせるの
ではないかと思う.それは今日のアメリカに見られる分裂と口論,
そして情け容赦なく争う政治モデルとは対照的である.だから恐ら
く我々は日本から何かを学ぶ事ができるだろう.最後に,我々は
日本への同情を禁じ得ず,悲惨な震災に対して心からのお悔やみを
申し上げる.そして心からの称賛を表明する.
(本稿は,メールマガジン
「英語サイトはこわくない!」に
3回に分けて配信したものです.)